日銀は黒田総裁が再任がほぼ確実となり、日銀からは雨宮氏が副総裁の一人、そして元学習院の岩田規久男副総裁の意向を引き継ぐ形で教授「枠」、そしてリフレ枠として早稲田大学政治経済学部より若田部教授が選ばれました。
今回は若田部教授の副総裁になるにあたり、日銀について、リフレーション政策について、リフレ派について、若田部教授自身について語っていきたいと思います。
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世界の中央銀行の当たり前は日銀の当たり前ではない
はじめに、日銀は言うまでもなく日本の中央銀行です。中央銀行は通貨を発行して物価を適切に調整します。「適切に」といったときに何が基準となり適切となるのか、これまで20年ほど、日銀はこれについて「サボ」ってきました。完全にサボりです。これをサボり以外で言い表すことができません。バブルがはじけて以降、日本の経済はずっと沈みつづけ、小泉政権下で少し上昇したものの、その後のリーマンショックで再度打撃を受け、その都度回復ができずにいました。
リフレ派とは
そういった日銀の体たらくになんとかムチを入れなければと立ち上がったのがニューケインジアンを信奉するケインズ学会が中心となったリフレ派です。リフレとはリフレーション政策を掲げた積極的な金融政策と財政政策を中心とした政策で、古くは石橋湛山が1930年代の昭和恐慌時代に使われた言葉であるとしています。
リフレーション政策とは、デフレ、つまり物価がどんどんと落ちているような状態から経済を活発化させるため、貨幣量を増加させて物価を上げることで、失業を減らしたり給与を上げたりすることです。経済はよく血液に例えられますが、デフレとはまさにドロドロの血液で今にも止まってしまいそうな状態から、サラサラの新しい血液を流し込んで血液を流していく、つまり貨幣を流していくという政策です。先ほどもかきましたが、日本はこれまで20数年間、バブルがはじけてからずっとデフレの状態に陥っておりました。そこでリフレ派は政治的な信条がそれぞれ異なるのですが、経済学者が中心となって、リフレーション政策について議員と勉強会を開いていってその見識を広めようとしました。その中心的な人物の一人が岩田規久男、元学習院大学経済学部教授です。
岩田規久男教授の功績
以前より、日銀の姿勢にたいして強く批判していた岩田氏。自分が日銀の内側に行ったらこうするのに、という提言をいつもわかりやすい言葉と論理で説明されておりました。そんな中、日銀副総裁就任の文字が出てきて私は学習院の最終講義まで危機に行ったのを覚えています。
また、「物価が上がらなければ辞任する」という強い言葉で就任をした岩田規久男副総裁。景気というのはとにかく「期待」が大切なので、日本の中央銀行でここまで踏み込んだ強気の発言をする人が副総裁として現れたことが単純に嬉しかった覚えがあります。安倍首相もリフレ政策には一定の理解があり、なにより、浜田宏一イエール大学名誉教授がリフレ派のリーダー的な存在でもあるので、政府側・日銀側双方にリフレ派がいることは車輪の両輪に仲間がいるようなもので、これは心強いものありました。実際、第1期黒田日銀は異次元級と呼ばれる金融緩和を行い、物価も少し上がり、デフレマインド自体は払しょくされました。それまでデフレ企業(どんどんと価格を抑えることで儲けを出していた企業群:牛丼屋・ファーストフード・ファミリーレストラン・ユニクロなど)が隆盛を極めていましたが、徐々に価格が上がっていきました。超円高(86円とかでしたね、民主党時代は)から円安に向かい、日経平均株価も徐々に回復していきました。なにより顕著だったのが新卒の就職率です。
議員、日銀に蔓延る「財務省」という病理
良くなってきた景気ですが、財務省によってその機運が閉ざされます。「消費税の増税」です。
先述した中に20数年、日銀はサボってきたという話をしました。これはまさに財務省のなせる業といってよいでしょう。中央銀行、とかくアメリカの中央銀行FRBは長年、経済について見識の深い人間が総裁職や理事を歴任してきました。経済の専門家が多く議論を交わして政策決定をするので、大きく間違うことは可能性として少なくなります。一方の日銀はというと、これまでは日銀出身者や財務省関係者で理事や総裁副総裁が決まっていました。日銀は企業の中ではエリート中のエリートです。財務省も公官庁の中でエリート中のエリートです。つまり東大法学部出身の方が多く、その先輩後輩関係で決まっています。経済の専門家ではないのと、彼らの目標がただひたすらに税金をとること、財政を調整することなので、経済の成長とは異なる金融政策になってしまっていました。大蔵省時代からずっと経済の成長を否定していたわけではありません。時代によっては良かった時期もありますし、最近では小泉政権時に竹下教授が貢献して多少の上向きにはなりました。しかし、続きませんでした。
財務省による政策提言はいつも反成長、増税、緊縮路線なので議員たちもその流れに乗せられます。これは自民党だけではなく、民主党、公明党、あらゆる共産党以外の党は財務省の「増税・緊縮路線」のレクチャーを受けて完全に信じ込んでいます。現在の安倍政権でも、リフレ派は安倍・菅・山本幸三の3者くらいで、他の内閣の人々、特に麻生氏などは財務省にどっぷりの人間なのでリフレには反対しています。ちなみに、今でも「量的緩和は効果がない」「ハイパーインフレに突入する」と財務省派は声を大にして言っています。
アベノミクスも財務省に阻まれる
アベノミクスの大きな効果としては日銀の総裁・副総裁を変え、リフレ派に近い人物にすることでした。しかも大きな批判を呼ばない程度の。そこで白羽の矢が立ったのが黒田総裁です。海外での経験などリフレーション政策についても強くはないですが柔らかな理解を示している人でした。そして副総裁にかねてよりリフレ政策を日銀で実現すべきとの論を展開していた岩田(当時)教授を起用しました。この時点で金融政策におけるアベノミクスは成功していたのです。あとは財政政策においてジャブジャブに使いまくり、国債を発行して、規制緩和や特区などを設けてイノベーションが起こりやすい環境づくりをすればよかったのですが、後者の2つの矢についてはどっかへ行ってしまいました。(ちなみに3つ目の規制緩和についてもモリカケ問題で財務省が足を引っ張っています。)
そんな中、せっかく経済が上向きになったのに消費増税の声が。これは民主党時代に、野田・谷垣という両財務省派によって決まってしまった悪法で、本当白紙撤回すればいいのですが、何度かの延期を安倍首相は行い譲歩したのですが結局8%になし崩し的になってしまい、それにより景気はまた後退してしまったのです。日本にとって消費増税はリーマンショック級に大きく、未だにその影響下にあります。また、財政を緊縮方向へ舵を切っているため、金融政策がなかなか利かないような状態になっています。
若田部教授はリフレ派最後の砦
黒田総裁の続投が決まりました。岩田副総裁に比べて発言が弱く、強い期待を持たせる訴求力のない黒田総裁には、正直最近ガッカリしまくりだったので、少し残念ではあります。リフレ派を強く推す本田参与が総裁になれば、かなり大胆な政策に打ち出せたのですが、黒田氏続投なので、大胆な政策転換にはならないでしょう。
岩田副総裁がお辞めになり、リフレ派最後の砦として若田部教授が起用されます。
正直、若田部教授にのしかかる重圧は重いです。状況も財政がきかない難しい局面にきていると思います。
理事については片岡剛士さんがいらっしゃいます。片岡氏は就任以来、「今の緩和では生ぬるい、さらなる緩和が必要だ」と、生ぬるい黒田総裁へ「No」を突き付けている勇者です。
片岡氏と若田部氏は盟友です。きっと共にさらなる緩和を掲げて戦ってくれると信じています。
なにより、安倍内閣に向けて「財政政策」の転換について強く日銀として主張いただけることを祈っています。
若田部氏の言葉・「合成の誤謬」について
若田部氏はよく「合成の誤謬」という言葉を使います。
財務省がこんなにバカなわけがない、何かしらの「勘違い」がそこに根付いているはずである、という仮定のもと、導き出した一つの仮定ですが、学ぶべき点が多い考え方です。
合成の誤謬とは、ミクロの視点で物事を捉えて正しさを作り出してしまうと、その正しさはマクロレベルにおいては間違った選択であることが多いが、その間違えについてただすことはないという意味で、しばしばマクロ経済学において使われる用語です。
たとえば、旅行や個人の輸入においては日本は円高であることが良いと思いますが、国レベルで考えた時に日本は輸出国ですから、ある程度円安であることが経済成長については良い、といったことです。規模を誤ってしまうと同じ行動をしても結果がことなってしまうのです。
財務省にとっては、自分たちの正義のためには税収を上げること、つまり増税をすることが彼らの正義となります。また、国家予算については、企業のレベルと同じように、バランスシートをみて、赤字を削って(緊縮)、黒字を増やす(増税)ことがよしとされます。これがミクロレベルでの「正しさ」です。しかし、マクロレベルでみれば、増税は消費を圧迫しますし、設備投資が落ち込み景気の悪化を招きます。実際、アベノミクス中の増税はこのような悪影響を生み出しました。財務省には自分たちの小さな庭における「正義」や「正しさ」があるのですが、それは国家という最大規模の家計に置き換えると全く逆であることを彼らのバイアスでは理解ができない、つまり合成の誤謬が発生していると若田部氏は説明されていました。
また、おバカな朝日新聞記者にもっと勉強してきなさい、と凛として語っていた若田部氏が印象的です。
若田部氏に金融政策をもっと進めてほしい
若田部氏には、先述した通り、片岡氏という強い仲間がいます。さまざまに大変なこともあると思いますが、私は常にエールを送り続けたいと思います。そして、退任し落ち着いたら当時の様子などを講演の際にでも伺おうかと思います。
最後に、若田部氏の名著を数冊、紹介してこの記事を閉じたいと思います。
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